最初は楽しく行っていたことが、
ある時点から、
義務感で、やっていること、ありませんか?

趣味が義務になるパターン
・人に宣言したから、続けている
→夢中になっているときは、嬉々として友人などに
熱く語り、、、、(熱く語りすぎたため燃焼した?)
その後は、それほど楽しくないけど、
熱く語った手前、続けている
・なんとなく惰性で、続けている
→良くも悪くもルーティン化して、当初の楽しさはないけど、
何故だか続けている
・中途半端で止めるのはいけない、と言う前提がある
→「最後までやり通す」ことが正しい、と
(親などからの)刷り込みがあり、
もはや、義務として自分に課して続けている
・形になるまで!と、続けている
→「損したくない」?との思いから、
成果を出すまで、もはや仕事のように続けている
さっと、いくつかのパターンを書きましたが、
真面目な性格の人ほど、
趣味が義務化しやすい、と感じます。
かく言う私も、、、、
気付いたら、楽しくないのに
何故、時間と労力をかけて続けている?
と言うことが、多々あります。
パターンから抜け出すには?
以下のスタンスを身に付えると良いでしょう。
・三日坊主、上等!
➝三日坊主でも、「経験」は経験♪
経験するのと、しないのとでは大違い
・新聞を全面、読みますか?
→義務感や勿体無い?と、毎日、新聞を全面読みますか?
「必要なところだけ」効率よく吸収する
「楽しく」始めたことは、「楽しい」うちが花、
楽しくなくなった = 新聞を全面読んでいる
・自分の器を知る
→形を成すこと・成果を上げること
これが出来るのは、「それが向いている」人です。
興味を持って始めても、
実は「向いていない」ことも有ります。
理想と現実のギャップを感じて、落ち込むことも有るかもしれませんが、
限りある時間と労力を、有効に使うためにも、
取捨選択できた♪と思うのはどうですか?
「選択する自由」がある
人の気持ちや状況は、変わるものです。
その都度で、
「選択する自由」があります。
それこそが、
その時々の、「自分の気持ちを大切に」しているのではないでしょうか?
私事ですが、
我が家には、柴犬がいます。
とても、、、「ゲンキン」なくらい、「自由」です。
いつも飼い主に尻尾を振るわけではなく、
「自分のその時の気持ちに忠実に」
尻尾を振ります。
その姿を見て私は、
少しガッカリしますが、
それによって愛犬を嫌いになる事は、ありません。
そのことから、
「あぁ、これで(愛犬のようで)いいんだな。
素直に自分の気持ちのままに行動して、いいんだまな。」
と思います。
是非、趣味は楽しい範囲で、
義務になっているのなら、変化の時です。
自分のその時の気持ちを、大切にしましょう。
愛 ∞ 感謝 ∞ 光
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