私は、第一子と言うこともあり、
母は、私を育てるにあたり、結構、気を遣ったようです。
母の必要以上の心配は、時として重たくて、
【 《心配》より、《信頼》を! 】 と思います。
そんな心配性な母のお陰で、事なきを得た体験を、お伝えいたします。
心配性な母の言葉
私が幼少期、母が誘拐を懸念して、私に注意した言葉があります。
①知らない人について行ってはダメ
②知らない人が、お菓子やおもちゃを買ってくれると言っても、
ついて行ってはダメ
③知らない人が、お母さんの友達だと言っても、ついて行ってはダメ
④知らない人が、お母さんがケガして動けないから、お母さんに頼まれて
お母さんの所に連れていってあげる、と言っても、ついて行ってはダメ
数多くのバージョンで、「ついて行ってはダメ!」をインプットされました。
知らないおじさんに声を掛けられる
私が4歳の頃です。
たまに遊びに行くお友達の家からの、帰り道の事です。
夕方16:00位に、一人で家路についていました。
楽しく遊んで、「ふんふんふん♪」と、鼻歌交じりに
いつもの道を帰っていると、、、、、
いきなり、どこからともなく、、、
犬が出現しました。
ビクッと驚いた私は、
犬から目線をそらしますが、
その犬は、私に吠えるのです!
「こっ、恐い! このままでは、噛みつかれるかも!
走って逃げる?、、、無理っ、、、追いつかれるよ、、
どっ、どうしよう~っ(号泣)」
小さな頭で、フル回転で考えますが、
出てくるのは、涙だけです。
と、その時、、、白馬の王子様ならぬ、
白い軽トラのおじさんが、颯爽と現れました!
【地獄に仏】とは、この事です。
私の窮地を察して、そのおじさんは、
「お嬢ちゃん、大変だね~。車で送ってあげるよ。」
と、私に声を掛けます。
気の緩んだ私は、安堵のあまり、
魅惑の軽トラの方に、歩み寄るのですが、
その時、
母の数々の「ついて行ってはダメ!」のフレーズが、蘇ります。
恐怖の中、棒立ちになり、
私は、また小さな頭を、高速回転させます。
「知らない人だけど、この状態は、緊急事態だ!
この犬に嚙まれて大怪我をしたら、お母さんは悲しむだろう。
だから、ここは、このおじちゃんの車に乗る方が、、、、
あっ!
そうだ! この犬がいなければ、私は歩いて帰れる!」
逆転満塁ホームラン並みの、名案が浮かんだ私は、涙声で、
「おじいちゃん、あの犬、追っ払って」
と、頼みます。
すると、、、、
おじさんは、じぃぃぃ~っと、私の顔を凝視し、、、
車で立ち去りました!
「えっ?!」
「おじちゃん、何で?」
私は、茫然自失で、途方に暮れたのは言うまでもありません。
ガックリとうな垂れながら、私は思いました。
「車に乗れば良かった。
吠える犬がいるのに、、、家は遠すぎる。。。」
後悔に苛まれつつ、
頭を上げると、、、、 犬がいない! 犬がいないっ♪
慎重に辺りを見回しましたが、いません!
あの吠えまくる犬は、跡形もなく姿を消したのです♪
私は、九死に一生を得た感覚で、家路を急ぎました。

🐕「恐い思いしたワンな。。。僕が癒してあげるワン♡」
母に何も言えなかった私
泣きじゃくる程の、恐怖体験をした私でしたが、
母に、その事については、一切、話しませんでした。
無事に帰りつきましたが、
「まぁ!そんなことがあったの!」と、
母が心配して、驚くのが嫌だったのでしょう。
そんな子どもの頃の私の気持ちも分かります。
でも、
親に話すことが出来ると、
・親が、大人目線で、より良い対策を立てる
そして、何より、
・恐怖体験をアウトプットする事で、安心できる
このような恩恵を得ることが出来ます。
自分の感情を、表現することが苦手な私。
周りのリアクションを考慮しすぎ、
怒りなどの激しいリアクションは、当然だが、
「まあ!」と言う驚きの反応でも、敬遠する私。
大人になった今でも、その傾向はあります。
そんな繊細な私を、愛しくも感じます。
あの犬は、おじさんは、何者?
①全ては偶然の産物で、あのおじさんは善意の第三者だったのか?
②犬をけしかけ、幼児を車に乗せる算段だったのか?
今となっては、謎ですが、
ただ一つ言えるのは、
【心配性な母の言葉に、助けられた】 と言う事です。
お母さん、ありがとう
愛 ∞ 感謝 ∞ 光
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